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東京在住 アラサー社会人の備忘録です。

歴史を学んだのにまた繰り返す過ち

 中学生の時に「なんで昔の事なんて勉強しなくちゃいけないの」という問いに、社会の女の先生が「昔の人がやった間違った事や成功した事を知って、間違った事はもう繰り返さないように、成功した事はまた活かせるようにするため。でも、実際にはいっぱい間違いを繰り返しているんですね。残念です。」と答えていたのを思い出す。

 東京都写真美術館でやっている「発掘された不滅の記録 1954-1975 VIET NAM そこは戦場だった。」を観に行った。ベトナム戦争の、特に北ベトナム側から撮影された戦争写真を展示している。今まで報道や展示されてきたのはだいたい南側から撮影されたものが多かったらしい。展示の解説文が文法的にちょっとおかしい所が少しあったが、分かりやすく歴史の流れと背景を説明してくれていると思う。あと、写真のタイトルに感情的な語句が混ざっているものもあって、これはちょっとなあと思った。その他はすごく良かった。
 おなじみの教科書で見る「米軍の攻撃から逃れて川を渡る2組の親子」の写真ももちろんあった。特に印象深かったのは、ゲリラ部隊の女性達が目だけ穴が開いているマスクをかぶってずらりと並んでいる写真と、ゲリラに加担した20歳の大学生が公開射殺される写真。同じ人間同士、民族同士、人の痛みがわかるはず。こうして戦争写真展が開かれ「戦争は繰り返すべきではない」と当たり前の事がわかるのに(もちろん収穫はそれだけじゃない)、社会の姿勢はなかなか変わらないように思える。
 こないだ大学のAVルームで「地雷を踏んだらさようなら」をみたお陰で、戦争写真はどのように撮られるのかというのがちょっと分かったので、写真のタイトルや撮影者をより真剣に見るようになった。

 私は写真が好きだからたまに外で撮るけど、この近さで、この角度から撮るとなると、どうしても撮られる人間はカメラを意識してしまうのではないかというものによく出会う。でも、展示で見る写真は結構自然体っぽい。写真を撮る人間があまりに「撮る」ことにこだわりすぎて、それが撮られる人間に伝わってしまうのかなとも思うが、不思議だ。撮影する事が当たり前の行動として振る舞えたら、写真の幅も広がるんだろうな。

展示は2/19(日)まで。