食べ物とか旅行とか

東京在住 アラサー社会人の備忘録です。

社会人が失うもの

 私は「忙しい」という事を言い分けにするのは好きじゃない。

「遅れちゃってごめん、忙しかったから。」
「あーその日は無理だ、忙しいから。」
「返事遅くなってごめんね、忙しかったんだ。」

とまあ、忙しい事を理由にする場面は日常生活で多々あると思う。待ち合わせ、電話、メール、疲れなどなど。

でも、忙しい以外に理由がない時もある。それほど親しくない人に、疲れの理由を「いやー、先週急にバイトが2人もやめちゃって、俺は22時までなんだけど毎回夜中の1時までかかっちゃうんだよね。新しいバイトを募集しても条件の合う人がなかなか来ないらしくてさー。」なんて説明する必要も無いと思うから、そんな時は「ちょっと忙しくって」というのが一番便利。



 だけど、この魔法の言葉「忙しい」は同時にその人の魅力というものを少し失わせてしまうような気もする。人の魅力というのはだいたい「よくわかんない」部分に私の場合は感じる事が多い。

この人かなりけばく見えるけど、バイト先がケンタッキーって本当かなあ。
いつもとてもサイケデリックな服装だけど、思想・宗教専修だなんて意外だ。
とてもモテそうなのに、彼女がいない暦5年って何か性格に問題でもあるのかな。

とまあ、思いっきり主観だらけなんだけど。
でも、その人のバックグラウンドを知る手段である会話の中で「忙しくって」とか「なんとなく」とか言われてしまうと、言葉の膜に覆われてその先が何も見えなくなってしまう。単なる場つなぎの会話ならともかく、やっぱり聞いてくれた事に対してはある程度ヒントを含ませながら?自分という人物がどんな人なのか、特定できる情報を交えつつ会話したいものである。


 でも、仕事人にはそれがあまりないように思う。社会人になった友人と仕事の話をしても、どんな仕事をしているのか聞いたらあとはそんなに知る事は無い。そこから先はある程度想像できてしまうからかな。しかも飲んでいる時に仕事の事そんなに話したくないし。(っていうような仕事をする事がそろそろ精神上不健康なことなのかもしれんけど) いくつになっても、話す事にはことかかない人生を、それが無理でもいつまでも夢は追っていたいものだと思う。