食べ物とか旅行とか

東京在住 アラサー社会人の備忘録です。

イベントづくしの1週間

 昨日から、やたらとイベントらしきものに出くわす事が多い。
 昨日は、文キャンで行われた吉増剛造×灰野敬二「B線上の乱声(らんじょう)」
 今日は、第二文学部思想・宗教系シンポジウム 「東西の死」に。
 B線上の〜は、吉増剛造先生を知っていたから、という単純な理由だったのだけど、ものすごく新鮮なものだった。最初に1時間程度のパフォーマンス、それから1時間程度のトークという構成だったのだけど、バイトのためパフォーマンスには遅れて到着。結構大きな教室でやっていたのだが、ドアを開けてみるとみっちりと人人人人!1歩も入れないから諦めて帰ろうとも思ったけど、隙間を見つけて半ば無理矢理入ってしまった。近くにいた人、すみません。その後のトークも大盛況で、こちらはラッキーな事に座れたけれど、お2人とも人気があるのかな。個人的には、特に吉増先生の繊細な感性に、再び「びっくり」した。聞いていると肺が締め付けられるような、でもわくわくする、そんな感じ。吉増先生は今年度で早稲田を去るような事を言っていたけど、まさかあの先生と一緒に追い出されちゃったのかなとか、悪趣味な想像をしてしまった。こういう、一見扱いにくそうな、でも刺激的な先生との出会いは、私にとってとても大きい。彼を去らせるなら、教育学部のあのどうしようもない授業をする教師を去らせろ。と無責任な事を思った。
 後者は、なんとなく。私は表現・芸術系専修という専修に属しているけれど、1年の時に思想・宗教系の基礎演習も合わせて受講していた。その時には、日本人て本当に無宗教なのか?という疑問があった気がする。そう思った時にふらっと軽い気持ちで違う専修の授業がとれるというのも二文の魅力かな。その基礎演習の先生(当時の学部長)がこれに名前を連ねていたのもあって、行ってみようと思ったのだった。テーマは「東西の死」。。。これを見ただけではさーっぱり分からなかったけど、行ってみたらそれはそれは興味深いものだった。去年も同じメンツでシンポジウムをしたらしく、「東西の生」だったから「今年はその正反対をやってみようと思っ」たのだそう。密教、仏教、キリスト教社会学(?)それぞれのプロフェッショナルの教授が4名座り、そして総合講座のコーディネーターの先生が司会進行(今日は公開講座でありながら、総合講座の一環だったらしい)。1コマ目はそれぞれがテーマに合わせて、専門の見地から死について。2コマ目はまずそれぞれの先生の話のまとめ、先生同士5人での討論、そして学生からの質問カードへの回答。というプログラム。社会学の先生が「まじめな人ほど、”自分にやるべき事がいつか見つかる”と思い、それを当面の生きる目的にする傾向がある。いわゆる自分探しというやつですね。」という事を高学歴化やフリーターの話と絡めて言っていたのだけど、まじめな人ほどなのか!と新鮮な発見。自分探しという言葉はあちこちで聞くが、私はあまり好きじゃない。でも、自分にやるべき事がいつか見つかる、という気持ちはわかる。もしかしたら私も自分探しを無意識のうちにやっているのかな。先生同士の討論では、仏教の見地ではこうこうこうですけど、キリスト教ではどうなっていますか、とか、密教のこういうところとドイツ神秘主義のこんなことって通じる所がありそうですね。とか、難解だけど楽しいやりとりが行われていた。
 最後にリーダーの先生が一言ということで詳しい言い回しは忘れたけど、私達はできる限りみなさんをサポートしようと思っていますから、いつでも捕まえてください。のような事を言っていた。それは、真に学問を追究し、また伝えようとする者の姿に見えた。たった19人しかいない専修の先生のうち、5人がここに集まった。地味にやっていたシンポジウムだったけど、普段機会がなかったり、知らない世界に足を突っ込む事は楽しい。そして、こういう場に結構若者の姿もあったことが嬉しかった。

そして、明日はサザンのコンサート、その2日後には小田和正のコンサートだ。その1週間後には演習の発表もあるけれど。昨日、今日は学問を肌で感じた2日間。「実学」がもてはやされているけれど、本当に人を豊かにする学問とは、こういうカテゴリーのものではないかと思う。