食べ物とか旅行とか

東京在住 アラサー社会人の備忘録です。

魔法使いサリー?

 今回、サリー姿で100キロ歩いてみると「なんて動きにくい服なんだサリーって!」と思う事しきりであった。まあ巻き方に工夫が必要なんだろうけど。私は巻きものなんて初めてだし、そんな器用な細工はできないので、もう和服のおばちゃんみたいにぐるぐる巻いて、最初は小股で歩いていたものの10歩で面倒くさくなって、2日間ずっとまくし上げて歩いていた。最後の区間はそれで走ったし。
 んで、日本の和服みたいに、それって結婚式とか特別な時にだけ着るんじゃないの?と思ったらどっこい、誰もがサリーを着ているではないかインドでは。ガイドブックなんかでは「近代的な街で、ジーンズ姿の学生も多い」なんて書いているけど、そんなのは数える程。私のクラスには女の子が10人くらいいるけど、9人は常にサリー、1人だけたまにTシャツとジーンズ。ほとんどサリー。土木工事にも女性が多数携わっているが、彼女達でさえサリーである。多少巻き方の違いはあるけれど。なので、街はとてもカラフルである。日本だと、ただでさえ黒っぽくなりがちだけど、こちらではオレンジ、赤、青、緑などなど。おめでたい時には金の刺繍が入っているキラキラしたサリーのおでまし。とてもきれいだ。やっぱ彩りがきれいなのは素晴らしい事だなあ。これが食べ物に入れ替わるとイタリアの市場みたいな感じだと思う。彩り豊かなものに囲まれて育つと、やはり感性みたいなものも違ってくるんだろう。

 ではなぜこんなにもサリーばかりで、いわゆる「洋服」っぽいものが浸透しないのか。それは、洋服の供給源に関係するような気がする。どうもほぼ全ての製品に関して言える事だけど、道路は「専門店」のオンパレードである。サリー屋(女性専用)をはじめ、男性用の洋服仕立て屋、プロパンガス屋、タイヤ屋、ケーキ屋、ココナッツ屋、羊肉と鶏肉と牛肉と豚肉は全て違うお店だし、それから日常品を扱う小さな商店があちこちになるという感じ。だから、洋服も基本的には家の近くの行きつけの仕立て屋さんで作ってもらうという感じのような気がする。「洋服屋」っていう類のは、街の中心地までいってピカピカのビルのショッピングセンターに行くと、ああリーバイスね、ラコステね、と存在するのだが。値段は桁違い。日常的に着るような感覚で売ってない。また、国内産業保護に熱心なのかは分からないが、何を買ってもほとんど「MADE IN INDIA」の製品ばかり。石けん、シーツ、タオル、本、時計などなど。地元の製品が地元で消費されているサイクルがあるように感じた。洋服も海外から輸入なんてしなくても、5分歩いた所のお店で作ってくれるからいいわってな事かな。
でもサリーはとても美しいので、私はこのままでいいなあと思う。