食べ物とか旅行とか

東京在住 アラサー社会人の備忘録です。

語りたくなる、それがこの国のすべて


 ギャラリーせいほうという銀座のギャラリーでやっていた、インド人作家のMadan Lalの個展に行ってみた。銀座の母ってこんなとこでやってんの?と思ったけど、その駐車場とみまごう入り口の隣にあるガラス張りのギャラリーである。天國の裏。天國の裏口の横には「応募者入口」というのがあった。そんなにひっきりなしにくるのか、応募者って。


 あいにく作家は他の人としゃべっていたのでそんなに話すことはできなかったけど、作品はおもしろかった。ブロンズの小さめな置き作品がたくさんと、書道を大きな画紙に描いたものがたくさん。大きな●が36個並んでいたり、かと思えばおたまじゃくしのような細く短い線がちょちょっと書いてあったり、年輪のように細く細かい線がすーっと縦に流れていたり。イスラム書道というのは知っているけど、インドでこういう風に炭を使う人がいたとはねー。といってもこの作家は日本とつながりが結構あって、長期滞在の時に知ったのかもしれないけど。楽しかった。


 で、たまたまインドに縁ある彫刻家の日本人の人がいて、インド人作家と一緒にインドの話をひたすらしていた。カレーとか、鉄道とか、寺に泊まったとか、そういう話全般をひっきりなしに。インドに行った人は、インドの話をとめどなくする傾向にあるなあと思う。それは武勇伝の時もあるし、驚いた話の時もあるし、単に体験の羅列のこともある。けど、とにかくインドの話をし始めると、伝えたいことが尽きないのである。ときに聞かされる側はあきあきすることもあるかもしれない。だって行ってみなきゃわかんないものそんなの。その多くの話が想像を絶していて現実感がないのだ。だから、私は誰かがそういう話をし始めたらあまり邪魔をしないようにへーとかほーとか言っていたりすることが多いけど、決してひっきーだったわけじゃないからね。と言ってみる。言い始めるととまらないんだー、これが。


 ギャラリーや写真展なんかに行ったときには、椅子のあるところに注目してみよう。そうすると、案外作家本人?らしき人がちょこんと座っていたりするのだ。そういう時には思い切って話しかけてみると、そこから世界がひろがりング。別に「いやー、やっぱり中世以降のモダニズムがガバーンしてきちゃったからねー、ユーはどうスィンク?」などと高尚な話をする必要は全くないと思う。
「あの写真よかったですー」というシンブルな感想でも良いし、「どうやって描いたんですか?」とか「あれってなんていう色の絵の具ですか?」とか「好きな食べ物なんですか?」でもいい。つくった人は、いいこともわるいことも、知りたい!と思っているはずなのだ。だいたいは。だって、いい点もわるい点も言ってくれなくちゃわからないもの。講演会などで最後の質疑応答の時間になると、日本ではあまり質問が出ないと言われている。その割に「じゃあ何か思いついたらメールでも質問はいつでも受け付けますよ」とかいってアドレスを書いとくと、殺到したりするらしいのだ。つまり、疑問や聞きたいこと、伝えたいことが胸にあっても、直接言わない。それが多数を占めているようなのだ。授業とかサービスというなまものの場合は、あとから言ったって取り返しがつかないけど、作家はその次の作品に活かせる。けど、やっぱり直接言われたら嬉しいよね。展覧会においては、作家はずーーーうっと画廊やギャラリーに居る訳でもない。つまり、いたらラッキー!くらいの感じで気軽に話しかけてみよう。中には、不器用だったり口べたでかえって微妙な印象を受けて会場をあとにすることもあるかもしれないけど、それもその人の人間性。それを加味した上で絵や作品を見ると、よりおもしろくなるはず。少なくとも、名前をさらっと書いて帰るくらいはしてあげてよいはずである。住所書きたくなかったら名前だけでもいいし。あれでだいたいの人数を把握して、今日は何人来てくれたんだなあとか思ったりするらしいのである。

画廊やギャラリーは、無料のエンターテイメントである。美術館とか博物館てボリュームもあるし、お金もかかるから結構気合い入れて行くこともあると思うけど、ギャラリーや画廊は小さい。さりげなく入って、ぶらーっと見て、なんとなく小腹が満たされる、たのしいところ。