食べ物とか旅行とか

東京在住 アラサー社会人の備忘録です。

こうなるのはわかっていたはずなのに

 日本に帰ってきたら各地の高校の履修ごまかしニュースが踊っていた。あるブログでは「なんでいまさら」と言っていたけど確かにそうだろう。
本人達にとってはもう当たり前になっていたのかもしれない。私の学校では「教養を養うため」という理由で世界史も地理も日本史もやらされたあげく、3年生になって初めて自分の選択科目に集中できるシステムであった。当時の私にとっては「日本史なんてきらい!漢字多すぎるんだもの!(私は当時誤字の帝王だった)」って感じで、しかも鎖国令の説明の時に

「当時の日本人は大きな船でやってきた金髪に青目の外国人を見てびっくりしたんでしょうね。こんな人たちが日本に来たら大変だ!と。まあこのクラスにも髪の毛の色が違くて外国人みたいなへんなのがいますけどね。んで、次のページ。」

とか言われたもんだからもーカッチーンときたわけ。当時の私は金髪に近い茶髪が混ざったアフロ一歩手前という今となっては恥ずかしすぎる髪型をしていたので。

だからもちろん世界史選択で、日本史なんて地味だからイーッヤー!と思っていたのだけど、日本の事を知らずして世界をどうやって学ぶのだとも思っていた。だからそれなりに頑張ったんだけど。点数はおいといて。

 いろいろな声が上がっているけど、私が特に思うのは気の毒ではあるけれど「当事者の受験生達は客観的にものごとを判断できる状況ではない」ということ。私は自分でもびっくりするくらい、受験生の頃には計算高かった。そんなの全然無意味だよ、関係ないよ!と今では思う事さえ全て計算済みの行動であった(勉強も含めて)。そう、全ては合格を勝ち取るため。

 受験生の私にとっては受験が全ての世界だから、生活のほぼ全ては受験に支配される(まるで今の新入社員みたいだな)。そこに補講70時間とか100時間とか言われたら「それだけ時間があれば英単語何個も覚えられてそれがカギになって合格できるかもしれないのに!」と一応頭の中では考える。そしてガーン、と思う。そして不満沸騰である。それでもやらなきゃいけないと言われたらやるんだろうけどね。

 「教育」という観点から見ればとーぜん、世界史も日本史もそれなりに触っておくべきである。これからますます外国の人との交流が増えていくであろう中で、自分の興味のある国以外の事なんて誰が進んで学ぼうとするだろうか。高校教育がおそらく最後の砦だ。世界の歴史はそれぞれが複雑に絡み合っているんだから、その全体像を学ぶような機会が無ければ各国の歴史なんて理解するに至らない。まあ、日本は島国だから日本のことだけで生きて行く事は可能だけどね。現に英語を話せない学生なんてたっくさんいる訳だし。それでも歴史を学ばなければ過ちはまた繰り返されるだけである。どっかの大国みたいにさ。「戦争反対」という言葉でさえ、「戦争は悪いことだ」と思っているだけなのか、「戦争であの悲劇が繰り返されてはならない」と思っているのか、言葉の重みが全然違う。歴史を学ばない子どもはろくな大人にならないような気がする。それを見て悲しむのはもうちょっと歴史を知っている大人とか、彼らに日本を支えてもらう2世代くらい上の人たちであろう。

 それでも彼らの生活は今も受験が中心。世界史を今から補修してやるべきだ!とは全く思わない。したって身に付く70時間ではないだろう。時間の無駄だ。ただ、受験が落ち着いてから願わくば歴史を学ぶ機会に恵まれてほしいなあと思うのである。

 私が卒業してから「進学校」として復活したと言われている母校では、学生も保護者も数年前と全くカラーが違うという。美術の時間に数学やってたりとか平気でするらしい。文化祭準備なんて時間の無駄と思うらしい。1年生から。私からすれば「ええええーーー!」である。もっとすばらしい時間が周りに広がっているのに。浪人で浪費する1年間と高校という空間で得る大切なものはなかなか天秤にかけられるものではない。私が在学した頃の、あの高校を私は好きだった。卒業してから好きになった。中にいたんじゃ分かんなかった。だからこそ、落ち着いて考える事のできる周りの人たちがしっかりと将来を見据えてサポートしてあげないといけないんだろう。何か方法を考えてあげなきゃならないんだろう。渦中にいる受験生、彼らがこの騒動を通して何か学び取ってやる、くらいのタフさで乗り切ってほしいと願う。